プラザ合意は本当に必要だったのか?米ドル安にした意味と影響『円高不況からバブルの発生・崩壊』

プラザ合意は本当に必要だったのか?米ドル安にした意味と影響『円高不況からバブルの発生・崩壊』

不動産価格は人口推移より金利が大きく関与する『不動産バブルはプラザ合意(米国の尻拭い)で起こった』でも少し触れましたが、1985年に発表されたプラザ合意は、最終的に不動産(資産)バブルを引き起こし、そして崩壊させました。

では、なぜプラザ合意は必要だったのか?

なぜこれほどまでにドル安・円高が進んでしまったのか?

これらを見ていき、考えていきたいと思います。

余談なのですが、私が生まれた年はプラザ合意が発表された1985年、生まれた日付は日航機墜落事故が起こった8月12日です。

この、プラザ合意と日航機墜落事故、この二つの出来事はなぜかGoogleなどで検索するとセットでヒットします。

お時間のある方は、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

プラザ合意はG7が協力しても収拾がつかないほどのドル安をもたらす

1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで、先進国である日本、アメリカ、西ドイツ、イギリス、フランスの5カ国がG5(中央銀行総裁会議)で、実質的な協調的な米ドル切り下げに合意する『プラザ合意が行われました。

プラザ合意の翌日、各国の為替ディーラーは早朝出勤し、米ドル売りに備えます。

その日から米ドルは、他国通貨に対して急速に値を下げていきました。

その中でも、米ドル円相場は、大幅な下落となります。

 

わずか1年足らずでドル円は約38%も円高になった

9月21日の東京市場におけるドル円仲直は241円70銭でしたが、プラザ合意から1週間も経たないうちにドル円は210円台にまで下落し、年末にかけて200円付近まで下がります。

翌年の1986年1月に200台を割り込むと、ナイアガラの滝のように米ドルは下げ止まらなくなります。

円高ドル安の行き過ぎを警戒した日本銀行は、利下げや円売りドル買い介入をしますが、それにも関わらず、1986年7月にはドル円は150円台に達し、わずか1年足らずでドルに対する円の価値は約38%も高まったのです。

これは、G5が想定していた以上でした。

 

G7がルーブル合意を発表してもドルは売られ続ける

1987年に入ってもドルの下落は止まらず、カナダとイタリアが加わったG7が為替相場を安定させるために、ルーブル合意を発表したのにも効果はなく、ドル売りの波は止まりません

その後もドル円は下落をし続け、年末には120円台にまでドルが売られ、ここまで来てようやくドル売り円買いの波は収まったのです。

1988年以降は120円台前後での小幅な推移となり、1989年以降、自律反転する展開になります。

 

強力な協調為替介入(プラザ合意)は想定できないほど市場を混乱させる

プラザ合意で想定されたドルの切り下げ幅は、10%〜15%の下落と予想されており、2ヶ月程度で収束すると言われていました。

しかし実際は、それをはるかに上回る下落幅を記録し、その後約3年にもわたり為替市場を混乱させ、各国の思惑通りにはいきませんでした。

このことから、為替レートに関する各国協調戦略の効果がいかに大きかったかを示し、同時に、一度動き出した為替の流れは余程のことがなければ収束しないとうことを明確に市場に植え付けることになりました。

 

アメリカの財政再建の失敗がプラザ合意につながった

一体なぜ、プラザ合意が必要だったのでしょうか?

それは、アメリカがそれまで高すぎた米ドルの価値を下げたかったからです。

金本位制の歴史と崩壊『通貨のリミッターは切られ国富を奪う』でも少し触れたニクソン・ショックやスミソニアン協定でこれまでも米ドルを大幅に切り下げていましたが、インフレ対策として高金利政策を採用したことにより、徐々に為替市場でのドル高が進んでいたのです。

 

ドル高は貿易赤字を拡大し続けアメリカを純債権国に転落させた

かつてのアメリカは、ドル高を歓迎する姿勢を見せていましたが、実体経済を見てみると、輸出の減少と輸入の増加を通じて貿易赤字の拡大が明るみになっていました。

それに伴い、大規模な減税による景気回復を目論みましたが、結果的にさらなる赤字を招きました。

1980年に700億ドル程度だった財政赤字は、1984年には2000億ドル台にまで拡大しました。

貿易収支は、1977年に300億ドルの赤字、そして1984年には一気に1000億ドルを突破します。

経常収支は、1982年に55億ドルの赤字に転落した後、1985年には1200億ドルにまで拡大しました。

世界最大の債権国だったアメリカは、1986年には対外債務が対外債権を上回る純債務国に転落してしまいます。

 

経常黒字である日本やドイツとの為替レートを操作しようと考えた

1980年代前半、財政再建に失敗したアメリカは、本質的な問題がアメリカ企業の競争力低下にあるのにもかかわらず、批判の矛先を経常黒字である日本やドイツに向けたのです。

対円や対マルクなどの為替レートを調整することで、問題を解決しようとしたのが、プラザ合意の本質なのです。

 

日米間の経済摩擦を避けるために規制を緩和するが問題は解決しない

第二次世界大戦が終わりしばらく経ち、欧州や日本の経済が復興するにつれて、海外製品がアメリカに流入し始め、海外ではアメリカの製品が売れなくなっていきます。

1980年代には、日本の自動車やカラーテレビなどがアメリカになだれ込んで行き、戦後の日米間の貿易収支は逆転し、日本は黒字、アメリカは赤字を計上するようになります。

日米間では貿易摩擦に対応するため、様々な規制を通じて対立関係の緩和を図りましたが、日本からの輸入品は収まることもなく、日米間の貿易収支の差はますます拡大していきました。

 

アメリカ企業の競争力低下を日本円のレートの低さのせいにする

そして、最終的には、日本からの輸入を減らすことから、アメリアから日本への輸出に議論を移し、電気通信、エレクトロニクス、輸送機器、医薬品・医療機器、林産物などの分野で、アメリカからの市場参入の障害を撤廃する議論がされるようになります。

それでも問題は解決せず、アメリカの企業が競争力を失い始めているのが原因だと明白になっているのにも関わらず、いつしか、日本が一方的に安価な製品を不当な競争条件で輸出をしていると批判されるようになるのです。

 

プラザ合意の前からアメリカは日本に圧力をかけるが失敗

プラザ合意が行われる前から日米間ではすでに、ドル円の水準調整に関し、政治的な動きが活発化していました。

1981年に就任したレーガン大統領は日本側に対して、為替相場を調整するために東京市場を開放せよと申し出ていました。

日本円の流動性を高めれば、為替市場で円買いが起き、日米間の貿易収支の改善に必要なドル円の調整が起きるという思惑がありました。

日本側はアメリカの高金利がドル高の原因だと主張しますが、結果的にアメリカ側の要求を受け入れることになります。

 

この時から日本の金融市場は開放される

レーガン大統領と会談した中曽根首相は、日米円ドル委員会を立ち上げ、市場の自由化、金利の自由化、円の国際化などをテーマにアメリカとの交渉を始めることに合意してしまいます。

そして、1984年に報告書が発表され、その内容は、金融・資本市場の自由化、外国金融機関の日本参入、ユーロ円市場の発展、直接投資に関わる規制の撤廃などでした。

 

結果的にドル売りには繋がらず日本の金融業は活発化

ところが、日本の金融市場の開放は、アメリカの思惑通りに円買いドル売りにはつながりませんでした。

確かに、資本市場で円建ての取引は増え、海外で日本の市場での取引の機会は増えましたが、日本の金融機関の投資機会も拡大し、円売りドル買いによるアメリカへの投資も増えました。

この出来事をきっかけに、日本の金融機関は、結果的に資本市場が拡大することで証券市場が活発化し、銀行による証券業への参入が増える結果を生み、これが日本の金融を司る契機となりました。

 

追い込まれたアメリカ政権は協調為替介入への思いを強める

ここまでしても、思ったように米ドルの切り下げが進まないのであれば、ドル円の相場調整を為替市場に直接的に働きかけるしかないと考えたアメリカ政権は、先進国に協調的な合意を得て、為替介入を行うしかないと思いが強まり、プラザ合意に踏み切ることになったわけです。

 

プラザ合意ほどの大規模な為替介入は予想できないほど危険な行為

為替介入とは、政府の指示を受けて中央銀行が為替市場で自国通貨を買ったり売ったりする行為を言います。

為替介入の決定権は中央銀行にはなく、財務省が決定権を持っており、中央銀行はその指示を受けて為替操作を実行するのです。

この仕組みは日本だけでなく、他国も同じです。

日本でよく行われるのは、円売りドル買いにより、円の上昇(円高)を食い止めたい場合です。

なぜ、日本は円高を食い止めたいのかは、為替レート(円高・円安)がもたらす日本企業への影響は為替の効果と資産の効果によるものをご覧ください。

ちなみに、プラザ合意の時に行われたのは、ドルの価値を下げようとする、円買いドル売りです。

 

米ドル売りを誘発する声明と実際の為替介入の効果は想像を超える

アメリカは円やマルクに対してドルを切り下げたいと思い、日本や西ドイツを中心にイギリス、フランスもそれに合意していたため、共同声明だけでもかなりの米ドル売りを誘発する力がありました。

それにプラスして、各国は協調介入(為替介入)を行う方針を決めたわけですから、プラザ合意は、いまだかつてないほどの米ドル売りを誰もが予想できる内容です。

実際に行われた米ドル売り為替介入は、総額102億ドルで、アメリカ32億ドル、日本30億ドル、残りの3カ国が合わせて20億ドル、その他の参加国が20億ドルでした。

現代によく行われる為替介入は、機関投資家などが作り出す市場の流れを食い止めたりする目的で行われることが多いのです。

しかし、プラザ合意での協調為替介入が市場に与える影響は、当初予想されていた計画から大幅に外れた水準にまで為替レートが動き、ここまで無理やりドル売りトレンドを作ってしまっては、歯止めが効きません

その後に行われた、ドル売りを阻止しようとするルーブル合意(ドル買いの介入)をもってしても、ドル売りは止まらず、1ドル120円という急激すぎるドル安円高は、誰もが予想できなかったはずです。

 

為替市場は国家の力でもコントロールできない

プラザ合意以降も、協調為替介入は行われています。

しかし、ここまでの規模の為替協調介入は、プラザ合意が最後でした。

現代の為替市場は、ルーブル合意をもってしても歯止めが効かないことからも分かる通り、一度作られた巨大なトレンドは国家の力を持ってしても、コントロールできないほどの巨大な市場なのです。

 

結局プラザ合意は短期的にしか効果はなく副作用しかもたらさなかった

プラザ合意により、1ドル = 240円台から1ドル = 120円台まで、約50%もドル安が進みました。

この為替調整により、日本の経常収支は1986年をピークに1990年には黒字がほぼ半減しました。

アメリカの経常収支も、徐々に赤字が改善され、1991年には赤字が0になるまで改善しました。

しかし、その後もドル安の水準はあまり変化がなかったにもかかわらず、日本の経常収支は再び黒字額が伸び、アメリカの経常収支は再び赤字幅を広げました。

プラザ合意によりドルを大幅に切り下げた効果は、短期的に効果はありましたが、長期的に見るとあまり効果はなかったのです。

それどころか、急激なドル安がアメリカにインフレ懸念をもたらし、それを抑制するため、長期金利の上昇の副作用をもたらしました。

 

急激な円高は間違った金融緩和と財政政策の道を作り取り返しのつかないバブルを引き起こす

日本でも、急激な円高により、輸出が大幅に減少したことなどから円高不況に陥り、その対策として金利引き下げの金融緩和を行いました。

1985年に5%だった政策金利(公定歩合)を1987年に2.5%まで引き下げたのです。

この金利引き下げは、当時の日本にとって低すぎる金利で、お金を借りて株や不動産に投資する動きを加速させました。

銀行も、不動産関連の融資を次々に増加させていきました。

さらに、金利引き下げに合わせて、政府は公共事業の拡大などの財政政策を行います。

高速道路や空港などの整備や橋の建設などに資金を投入し、財政緊縮で進んでいたのが一転して、国債増発が強まり、政府の財政支出は膨らみ続けました

 

プラザ合意→円高不況→金融緩和→バブル発生・崩壊→長期にわたる不況

現代のように、デフレや景気後退を懸念されている状況で金利引き下げや財政出動を行うのであれば、緩やかな経済成長をもたらすことを目標に出来ます。

しかし、当時の日本は経済成長を続けており、その状況で金利引き下げと財政出動を行えば、バブルが発生してしまう可能性が非常に高くなります。

実際、私たちも知っている通り、この行き過ぎた円高不況対策で日本は世界最大の資産バブルを引き起こし、その後バブル崩壊により、長期にわたって続く不況に陥ることになりました

このアメリカによる強引なプラザ合意が、日本のバブル経済と崩壊を作り出したと言っても過言ではないのです。

 

まとめ

  • プラザ合意はG7が協力しても収拾がつかないほどのドル安をもたらす
    わずか1年足らずでドル円は約38%も円高になった
    G7がルーブル合意を発表してもドルは売られ続ける
    強力な協調為替介入(プラザ合意)は想定できないほど市場を混乱させる
  • アメリカの財政再建の失敗がプラザ合意につながった
    ドル高は貿易赤字を拡大し続けアメリカを純債権国に転落させた
    経常黒字である日本やドイツとの為替レートを操作しようと考えた
  • 日米間の経済摩擦を避けるために規制を緩和するが問題は解決しない
    アメリカ企業の競争力低下を日本円のレートの低さのせいにする
  • プラザ合意の前からアメリカは日本に圧力をかけるが失敗
    この時から日本の金融市場は開放される
    結果的にドル売りには繋がらず日本の金融業は活発化
    追い込まれたアメリカ政権は協調為替介入への思いを強める
  • プラザ合意ほどの大規模な為替介入は予想できないほど危険な行為
    米ドル売りを誘発する声明と実際の為替介入の効果は想像を超える
    為替市場は国家の力でもコントロールできない
  • 結局プラザ合意は短期的にしか効果はなく副作用しかもたらさなかった
    急激な円高は間違った金融緩和と財政政策の道を作り取り返しのつかないバブルを引き起こす
    プラザ合意→円高不況→金融緩和→バブル発生・崩壊→長期にわたる不況

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