イノベーションはバブルを起こす『バブルの歴史、鉄道バブルと自動車バブル』
以前ご紹介したバブルが起きるのはなぜか?バブルとは何か?の中で、イノベーションを材料とした個別要因によるバブルについて少し触れました。
株式・投資の歴史の中で、新たに登場したテクノロジーによって発生したバブルとは、どのようなものだったのでしょうか。
歴史をさかのぼりながら考えてみます。
新しいテクノロジー・産業分野の登場はバブル的な株価高騰をもたらす
歴史をさかのぼって見てみると、新しいテクノロジーの登場は、必ずと言っていいほどバブル的な株価高騰をもたらしてきました。
代表的なものですと、100年以上前に日本や英国で見られた鉄道バブル、1920年代の米国の自動車バブル、記憶に新しい2000年前後のITバブルなどがあります。
新しいテクノロジーで株価のバブルが起こりやすいのは、イノベーションによって極めて大きな利益が期待できるからなのです。
新しいテクノロジーが起こしたバブルでも崩壊する
たとえ新しいテクノロジーで起きたバブルでも、必ず崩壊します。
それは、イノベーションによって大きな利益を実際にあげられる企業は限られているためです。
なんらかの理論的な裏付けがあってバブル的に株価が高騰したはずなのですが、バブルが本格化していくうちに、投資家たちの感覚が麻痺してしまい、大きな利益をあげられないであろう関連銘柄すべてがバブル的な株価高騰をしてしまいます。
これが、バブル崩壊の決定的な要因なのです。
歴史の中で起こった新しいテクノロジーバブルは世界中の人に定着する発明がもたらしてきた
代表的な新しいテクノロジーのバブルは、鉄道バブル、自動車バブル、ITバブルの3つです。
これらのバブルには、何十年、何百年にも渡って、人々の生活に定着しているという共通する点があります。
それと、バブルが崩壊した後も、高い収益率と高い株価(バブル時と同じかそれ以上の水準)を維持している企業が残っていることも忘れてはいけません。
鉄道バブルは蒸気機関の発明から始まった
鉄道バブルのきっかけは、1769年にワットが本格的な蒸気機を関発明したことが始まりでした。
1800年代に入ると、トレヴィッシックやスチーヴンソンなどが改良を重ね、蒸気機関を動力とした本格的な鉄道が建設されるようになりました。
その画期的な発明は、英国で鉄道に対する投資ブームが起こり、多くの鉄道会社が誕生しました。
当時の鉄道に対するイメージは、現代に例えると、リニアのような超高速鉄道のような感じであったと思います。
そして、市場では期待が先行し鉄道株はバブル的な高騰を見せることになります。
鉄道バブルがもたらした株価指数は3倍以上に跳ね上がった
当時の鉄道株は10%以上の高配当だったにもかかわらず、株価は高騰し、鉄道株価指数は3倍以上に跳ね上がりました。
まさに夢のような株です。
しかし、鉄道会社が得る収入は路線が持っている物理的な輸送力に依存していますので、1本の路線から得られる収入には限界があり、やがて鉄道バブルは収縮していきました。
鉄道バブルが日本に来ることを的中させた本多静六
英国で起こった鉄道バブルは、海を越え、50年後(明治時代)日本にもやってきました。
当時の日本には、これを予測し大きな財産を築いた人がいました。
それは、東京帝国大学教授の本多静六です。
本多静六は、ドイツに留学した際、ブレンターノ教授という方から鉄道株への投資についてアドバイスを受け、帰国後これを忠実に実践しました。
ブレンターノ教授教授は、テクノロジーバブルは再現性があり、英国に遅れて近代化した日本にも、同じように鉄道バブルが来る可能性が高いと本多静六に説明したのです。
その後、予想は的中し、本多静六は現在の価値で数億円の資産を築くことに成功したのです。
自動車バブルは歴史において最も大きなインパクトを与えた
鉄道バブルの次にテクノロジーバブルが発生したのは、1920年代の自動車バブルです。
工業化の歴史において、社会に最も大きなインパクトを与えた出来事の一つが、ガソリンエンジンによる自動車の普及です。
米国で起こった特許紛争などをきっかけに、状況が大きく変化し、さらに、ガソリンエンジンが予想外の技術的進歩を遂げたことから、一気に普及することになったのです。
自動車バブルの代表企業ゼネラル・モーターズ(GM)
1920年代の米国では、好景気を背景に自動車株がバブル的な高騰を見せました。
その時の自動車バブルの代表企業はゼネラル・モーターズです。
M&A(企業の合併や買収)で巨大化したゼネラル・モーターズは、1910年頃、管理体制の不備によって経営が混乱しており、株価も底を打った状態が続いていました。
しかし、1914年に勃発した第一次世界大戦による自動車特需によって、最初の株価上昇が発生しました。
これは、戦争が起きた時のお金の動き株価の動きでご紹介した、軍需企業と同じように株価が動いたのです。
戦争による株価上昇で息を吹き返した
第一次世界大戦後、上昇した株価は一旦下落しましたが、デュポン社とモルガン商会がゼネラル・モーターズの経営に本格的に関与するようになり、経営が安定し、巨大企業に成長することができました。
そこに自動車バブルが合わさり株価は175倍になった
1910年頃、経営が混乱していたゼネラル・モーターズの株価は、わずか0.5ドル前後でした。
戦争特需と安定した経営方針で巨大企業に成長したところに、自動車バブルが合わさり、バブルピーク時の1928年に株価は、底値から約175倍の88ドルまで上昇したのです。
米国から遅れて40年後、日本にも自動車バブルが訪れた
鉄道バブルと同様に、自動車バブルも時間差で日本に訪れました。
日本の自動車産業が飛躍するのは、米国から遅れて40年後、1960年代に入ってからのことです。
この時代は日本もようやく豊かになり、国民の購買力が増大したことで乗用車の販売が急激に拡大してきました。
1966年は、トヨタ自動車の代表する車種「カローラ」の販売が開始された年です。
1950年代にトヨタ自動車の株を買っていれば莫大な利益になった
日本の自動車バブルの代表企業といえば、もちろんトヨタ自動車です。
この頃のトヨタ自動車の株価は、1920年代のゼネラル・モーターズとよく似ています。
自動車の普及率が16%を超えたあたりから急上昇を見せ、自動車の本格普及が始まる前の1950年代に、トヨタ自動車の株を買っていれば、20年で約65倍に上昇した計算になります。
まとめ
- 新しいテクノロジー・産業分野の登場はバブル的な株価高騰をもたらす
- 新しいテクノロジーが起こしたバブルでも崩壊する
- 歴史の中で起こった新しいテクノロジーバブルは世界中の人に定着する発明がもたらしてきた
- 鉄道バブルがもたらした株価指数は3倍以上に跳ね上がった
- 自動車バブルは歴史において最も大きなインパクトを与えた
- 米国から遅れて40年後、日本にも自動車バブルが訪れた
イノベーションを材料としたバブルは、時間差でその他の国に訪れることが多いと考えられます。
かつて、日本が新興国(発展途上国)と呼ばれていた時代に時間差で訪れた鉄道バブルと自動車バブル。
もしかすると、次にこれらのバブルが起きるのは、現在新興国に位置付けられている国々なのかもしれません。
それを踏まえて是非ご参考にこちらの記事もご覧下さい。