サブプライムローン問題とリーマンショックをわかりやすく説明すると投資銀行が原因
100年に一度の金融危機と言われた『リーマンショック』
それには、FRBの金融緩和策(利下げ)、政府の政策、サブプライムローン、複雑に入り組んだ証券化商品、強欲で放漫なウォール街、これらが全て組み合わさり引き起こされました。
しかし、リーマンショックが起こってしまうまで、これらの全ては、アメリカ経済の安定した成長やリスクの分散機能、金融技術の進歩であると評価されており、規制の必要はないとされていました。
また、これまでの金融危機といえば、実体経済を反映したものや商業銀行の過剰な融資などが主な原因だったのですが、このリーマンショックは、投資銀行により引き起こされた異例の金融危機だったのです。
2001年頃からの低成長を立て直すためにFRBは金融緩和策を行う
ITバブルの崩壊により、2000年には4%の成長を達成していたアメリカも2001年には1%を割り込み、9.11同時多発テロの惨事などで、成長ペースは鈍化していきました。
FRBは、どうにかアメリカ経済を立て直そうと金融緩和策を図り、その影に隠れて資産バブルは膨れ上がり続けていました。
元々アメリカ政府は、国民に対して持ち家を拡大させることを推進しており、特にブッシュ政権になってからその勢いは増していきます。
オーナーシップ社会構想と緩和政策がサブプライムローンに拍車をかける
ブッシュ大統領は、オーナーシップ社会構想を実現させるために、低所得層への持ち家拡大を図り、これにFRBの緩和政策が後押しします。
そして、信用力の低い低所得層の人々に住宅融資を行う『サブプライムローン』が、ウォール街の金融機関の収益源に育ち始めたのです。
そこに、投資拡大と金融危機・崩壊は繰り返す?新興国の累積債務問題から証券化時代が始まったから進行し、ITバブルの発生と崩壊時の株価の異常さとその影に隠れて育つリーマンショックの芽で急速に発展していた、証券化市場が大きな役割を果たしたのです。
サブプライムローンは最高格付けされた証券となり世界中に売られる
金融機関が保有するサブプライムローンは、特別目的会社に集められ、信用力に応じたいくつもの証券化商品に加工されます。
一定の金額まではリスクの高い証券が損失を負担するという仕組みの中で、元利金の安全性が高められる証券が作り出されたのです。
このように作られた証券は、最高格付けが付与され、世界中の投資家から人気を集め、アメリカ外では特に欧州市場で飛ぶように売れました。
その中でも特に銀行に売れ、自身のポートフォリオに組み込むだけでなく、傘下のファンドにもサブプライムローンの証券化商品への投資を活発化していくことになりました。
住宅市況が順調であれば、信用力が低いローンでも問題はなく、アメリカの住宅価格は2001年以降右肩上がりに上昇し続け、低所得の家計でもローンで購入した家が値上がりによる売却益を得たり、それを担保にローンを借り増すといった状況が続きました。
過去10年間で約2.2倍になった住宅価格がピークを迎え下落する
2006年、アメリカの住宅価格の上昇速度が鈍化し始めます。
それでも市場には「住宅が値下がりするわけがない」という思想が根付いており、その時点では価格下落への警戒感はありません。
1997年以降の10年間でアメリカの住宅価格は約2.2倍も上昇していました。
そして2007年に入ると、ついに住宅価格の値下がりが始まります。
政策金利の引き上げがローンを組んでいる人たちの首を締め始める
FRBは2003年6月に政策金利を1.0%まで引き下げた後、2004年6月以降は徐々に引き締め策に動き、2006年6月には5.25%にまで金利を引き上げていました。
低所得の人々や変動金利でローンを組んでいた人々は、金利の支払いに支障をきたすようになり、それが証券化市場の不安材料として急浮上しました。
市場が不安になっている中起きたパリバ・ショックが金融危機の扉を開ける
住宅価格の値下がりや金利の上昇で、証券化市場の警戒感はどんどん強まっていき、流動性が著しく悪化します。
サブプライムローンの証券化商品は、適正価格がわからなくなり、そうした商品に投資している投資家は、一刻も早く解約しようと売りに走ります。
しかし、市場では値がつかないので、証券化商品は売るに売れません。
そのような状況の中で突然、金融界を驚愕させる出来事が起こります。
証券化商品に積極的に投資をしていたフランス金融最大手のBNPパリバが、2007年8月に、グループ内の3つのファンドでは解約請求に応じないと発表したのです。
この発表で市場の不安が一気に広がり、為替市場や株式市場で大混乱が起こりました。
ファンド総額は小規模でしたが、市場心理が悪化していた中では、金額の大小は関係ありません。
そして、市場の沈静化を図るために、ECBは即座に948億ユーロの巨額の資金供給を発表します。
この、パリバ・ショックが、その後の100年に一度と言われた金融危機への扉を開いたのです。
ベア・スターンズの経営危機・買収でリーマンショックの足音が聞こえる
アメリカの金融機関は、日本や欧州と違って独自の経営をしていることが少なくありません。
JPモルガン、ウェルズファーゴ、シティグループ、ゴールドマンサックス、モルガンスタンレーなど、よく耳にする大手銀行や投資銀行も経営スタンスが違います。
多種多様なアメリカの金融機関の中でも、特徴的な経営をしていたのがベア・スターンズでした。
株式の引受やM&A仲介などの業務ではなく、モーゲージ担保証券(資産担保証券)の組成や販売をビジネスの柱にしていました。
リスクの高いレバレッジ経営への欲望がベア・スターンズを破綻に追い込む
しかし、上昇を続ける住宅価格やモーゲージ担保証券の急速な拡大などで、ベア・スターンズの経営をリスクの高いレバレッジ経営へと向かわせていきました。
そもそも投資銀行は資産を保有して稼ぐ金融機関ではなく、証券引受や財務アドバイスなどで手数料を稼ぐビジネスモデルが一般的です。
ですが、金利が低いことや資産市場が活況している状況では、借入が容易で、商業銀行のように資産を保有して稼ぐビジネスに魅力を感じられるようになります。
証券化市場では、デリバティブを組み合わせた複雑な商品も多くあり、高い格付けで高いリターンを得れると期待できる商品は、資産保有による利益を望んでいる投資銀行にとって、絶好の投資対象になりました。
アメリカ第5位の投資銀行が買収されるほどのリスクを抱え破綻
ベア・スターンズは2007年末の段階で、110億ドル規模の資本でありながら、誰の目にも多すぎる約4000億ドルの資産を保有するにまでになってしまいました。
これは、約36倍のレバレッジです。
しかも、その資産の多くは、流動性の高い証券ではなく、利回りは高いものの売却が難しい証券化商品でした。
ベア・スターンズの経営危機を招いたのは、傘下の2つのヘッジファンドの破綻でした。
そのファンドでは、借り入れた資金で投機的な商品に投資をしていたことから、住宅価格が低迷へと向かう中で、損失が雪だるまのように大きくなっていったのです。
ベア・スターンズの財務状況は急激に悪化し、2008年3月、JPモルガンに身売りすることになります。
ちなみに、公表された買収価格は1株あたり2ドルという破格の値段で、その後市場から批判を浴び、1株あたり10ドルに引き上げられました。
それでも、2007年1月に付けた最高値の約171ドルとの落差に、市場は驚きを隠せませんでした。
リーマンブラザーズの史上最大の破綻劇(リーマンショック)が世界中を巻き込む金融危機へ
市場が驚愕したベア・スターンズの買収劇の余韻の中、市場は次の破綻する金融機関はどこだ?と模索するようになってきます。
結果から言うと、メリルリンチとリーマンブラザーズでしたが、メリルリンチはバンク・オブ・アメリカに救済され助かりました。
一方、リーマンブラザーズは、株式投資をしている人だけでなく、経済や金融に少し触れている人でも知っているように、世界を震撼させる破綻劇を巻き起こしたのです。
リーマンブラザーズほど大規模な投資銀行を誰も救済することはできなかった
リーマンブラザーズは1850年創業の老舗であり、ゴールドマンサックス、モルガンスタンレー、メリルリンチに次ぐ4番目に大きいアメリカの投資銀行でした。
債券取引に強みを持ち、日本をはじめとして世界中に拠点を構え、経営基盤を拡大していました。
リーマンブラザーズもベア・スターンズと同様に、資金を借り入れて資産を保有するビジネスモデルでした。
その資産の多くは、個人向けのサブプライムローンではなく、商業用不動産担保融資を裏づける証券化商品でした。
リーマンブラザーズの経営破綻が囁かれる中、同社ほどの規模の金融機関を救済できる銀行は世界中どこにもない、という見方が強まり、最後はアメリカ政府が救済するのではないかと思われていました。
しかし、アメリカ政府は予想を裏切り、2008年9月15日、リーマンブラザーズは経営破綻したのでした。
資産総額6390億ドルという史上最大の破綻劇『リーマンショック』は、世界中で株価急落を引き起こし、金融市場だけでなく、世界経済が景気後退に陥るのではないかと不安に包まれました。
リーマンショックにより様々な金融機関が政府により救済された
リーマンショックは、資金市場を凍り付けさせ、アメリカの国債市場でさえ流動性が急激に悪化し、円滑な金融取引が不可能になりました。
ゴールドマンサックスやモルガンスタンレーでさえ、絶対破綻することはない、とは言い切れない状況でした。
モルガンスタンレーは、三菱UFJファイナンシャル・グループからの出資を仰いで、急いで対処されたほどです。
リーマンブラザーズが破綻した後、アメリカの住宅金融を支えていたファニーメイとフレディマックの2つの政府支援機関も事実上国有化され、CDSの大量ポジションを抱えていた保険大手のAIGにも政府支援されました。
米財務省は議会を説得して、7000億ドルの公的資金を銀行などに資本注入したのです。
証券化商品(投資銀行)による金融危機は異例の出来事だった
政府による一連の救済処置の中で、ゴールドマンサックスとモルガンスタンレーもFRBからの資金支援を受けることになります。
本来ならば、FRBは商業銀行にしか融資できないのですが、異例かつ緊急の状況に限りFRBが商業銀行以外の金融機関に融資することを認めるという唯一の条項である、連邦準備法13条の第3項使い、救済したのです。
こうして、ウォール街、金融市場の中心にいた大手投資銀行の破綻の連鎖は避けられました。
リーマンショックまでの金融危機といえば、商業銀行の過剰な融資などが原因となることがほとんどだったのですが、今回の金融危機は異例とも言える出来事なのです。
金融規制の緩和や証券化商品の開発などは市場を安定させると思われていた
住宅価格が上昇し続けることへの期待、証券化商品への過信、レバレッジへの依存性といった現代金融機関の思惑で、高い利益という強欲と、リスク管理を怠って慢心することで、100年に一度と言われる金融危機を引き起こしました。
1980年代後半以降のアメリカ経済は、超安定化時代に入っていました。
1990年代も物価上昇率を抑制し、安定的な成長率を維持し、多少の振れ幅はあったものの、2006年ごろまで約20年間も長期安定成長をもたらせていたのです。
誰もが、その健全な経済成長が永遠に続くと信じて疑わず、並行して実施された金融規制の緩和(商業銀行と投資銀行の統合)は、この安定成長に貢献するものと思われていました。
自由主義的な金融行政はウォール街の自己中心的な思想を見抜けなかった
金融規制の緩和で、デリバティブ市場の多様化や複雑化は、金融技術の進歩と判断され、規制の必要性はないとされました。
証券化商品は、リスクの分散機能として有益なツールであると評価されたからです。
FRBもこのような金融技術の進歩や商品開発を前向きに捉えていたのです。
市場の自律性に任せた新自由主義的な金融行政は、金融機関のモラルや責任感を前提としたのもでしたが、強欲や放漫さに染まったウォール街は、想定していたよりもはるかに自己中心的な経営者の集まりでした。
リーマンショックの反省から金融規制改革法を制定
サブプライムローン問題からリーマンショック、金融危機に至るまで、自由放任の金融行政により金融機関が自由に暴走し、失敗のツケを世界全体に押し付けたとも言える出来事でした。
そして、ウォール街はアメリカ国民の税金で救われ、世界を混乱に陥れた張本人たちは、誰一人として罰せられることなく、現在でも何食わぬ顔で過ごしているのです。
米議会は、二度と金融機関を自由にさせず、悲劇を繰り返すわけにはいかないと、2010年7月に、金融規制改革法(ドット・フランク)を制定します。
銀行の投機的行動を抑制し、大手銀行の救済を許さない制度を作り、FRBも厳しいストレステストを導入して、銀行経営の健全化に力を入れるようになったのでした。
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まとめ
- 2001年頃からの低成長を立て直すためにFRBは金融緩和策を行う
オーナーシップ社会構想と緩和政策がサブプライムローンに拍車をかける - サブプライムローンは最高格付けされた証券となり世界中に売られる
過去10年間で約2.2倍になった住宅価格がピークを迎え下落する
政策金利の引き上げがローンを組んでいる人たちの首を締め始める
市場が不安になっている中起きたパリバ・ショックが金融危機の扉を開ける - ベア・スターンズの経営危機・買収でリーマンショックの足音が聞こえる
リスクの高いレバレッジ経営への欲望がベア・スターンズを破綻に追い込む
アメリカ第5位の投資銀行が買収されるほどのリスクを抱え破綻 - リーマンブラザーズの史上最大の破綻劇(リーマンショック)が世界中を巻き込む金融危機へ
リーマンブラザーズほど大規模な投資銀行を誰も救済することはできなかった - リーマンショックにより様々な金融機関が政府により救済された
証券化商品(投資銀行)による金融危機は異例の出来事だった - 金融規制の緩和や証券化商品の開発などは市場を安定させると思われていた
自由主義的な金融行政はウォール街の自己中心的な思想を見抜けなかった
リーマンショックの反省から金融規制改革法を制定