日経平均が8000倍に?日本の株価の歴史を調べてみると凄いことが分かります
日本の証券市場の起源は、17世紀末、大阪・堂島での米の先物取引です。
株式市場の始まりは、1878年に株式取引所条例が制定され、東京と大阪に株式取引所が開設されました。
それから約130年ほど時代が流れましたが、その間どのような出来事があったのでしょう?
日経平均株価は約130年間でおおよそ8000倍になった
※まず初めに注意しておくと、日経平均株価は戦後に作られてものなので、東京株式取引所(現在の東京株式市場ではない)の指数を基にして計算されたものです。
戦争、恐慌、インフレ、オイルショック、バブル、デフレなど、過去130年もの歴史の中で様々な出来事が日本で起こりました。
それらの経済に大きなインパクトを与える出来事が株価にも影響し、数多くの乱高下を繰り返しながら着実に日経平均株価は伸びていったのです。
約130年間の歴史の中で日本の株価は約8000倍に上昇したのです。
年間収益率に換算すると平均約7%です。
年間収益率7%と聞くと一見低く思えるかもしれませんがこれはとんでもない数字で、10年間投資をすると収益は2倍になり、20年間投資すると収益は4倍になります。
こうした効果を複利の法則と言います。長期投資では基本的な用語ですね。
長期で見た株価には約20年単位で起こるトレンドがある
長期的な株価の動きをみる際には、どのような値動きをしているのか株価のトレンドを知ることが大切です。
株価というのは、短期的にはランダムで動きますが、ある一定の期間をみるとトレンドを形成することが分かります。
これを何十年もの期間でみると、約20年単位で動いているトレンドを見て取れるのです。
- 日本経済黎明期(1880年〜1920年・20年間×2)上昇
- 長期低迷期(1920年〜1945年)下落
- 戦後高度成長期(1945年〜1960年)上昇
- 戦後停滞期(1960年〜1975年)下落
- バブル経済期(1975年〜1990年)上昇
- 長期低迷期(1990年〜2015年)下落
経済黎明期の日本はまだ新興国でした
近代国家として日本が国際社会にデビューした明治時代。
冒頭でも述べましたが、1878年に株式会社組織の証券取引所が設立され、株式売買が始まりました。
日本は欧州に遅れて近代化したのですが、江戸時代にはすでに大阪には米相場の市場があり、欧州に先駆けて、今でいうところの先物取引が行われていました。
ということは、日本人はすでに相場に関するかなりの知見を持っていたのです。
2つの戦争で起きたバブル
国際社会にデビューした日本は、近代化に伴い、日清戦争・日露戦争という歴史を動かす2つの戦争を経験しています。
戦争と株価については先日お話いたしましたが、この時、どちらもバブルが起こり億万長者が続出したのです。
この時期の日本は新興国の位置づけであり、付加価値の低い工業製品を大量に生産していました。
株価は新興市場らしく価格変動が激しい相場が特徴的でした。
同時に日清戦争の勝利で勝ち取った賠償金によって金本位制がスタートするなど、近代的な金融システムも急速に整備されて行きました。
リスクも大きかったのですが、基本的には株価は驚異的な上昇をしています。
現代の新興国の株価の動きや経済の推移を考える上では、当時の日本は非常に参考になります。
戦争は起こりにくいのですが、新興国から先進国に移行する際に起こる出来事は万国共通なのです。
バブルが起きるのは海外特需
大正時代になると資本蓄積が一気に進み、国民の生活がかなり豊かになってきます。
注目すべきは日本が初めてこの時代にバブルを経験したことです。
第一次世界大戦は日本にとってまさに特需だったのです。
戦争の勃発によって、英国やドイツなど欧州の工業国による生産だけでは工業製品が間に合わず、日本にも大量の発注が回ってきたのです。
海外需要が堅調だと、日本の製造業が活発になり、国内の設備投資も活発になり株価が上がります。
この構図は、現代も続いており、すでにこの時代に確立していたのです。
大正バブルが崩壊すると突入する長期低迷期
2つの戦争がきっかけで起こった大正バブルは長くは続かず崩壊してしまいました。
その後日本経済は長期の低迷期を迎えます。
世界恐慌に直面した日本経済は完全に機能不全となり、軍部の介入と統制経済を招いてしまったのです。
昭和に入り、太平洋戦争が終結するまでの約25年間は、日本の歴史の中で最も経済が低迷した時代となります。
この時代の最大の特徴は現在の経済状況と似ていること
第一次世界大戦が終了すると反動不況が押し寄せ、日本経済は世界で初めて長期のデフレに突入します。
デフレ経済に直面した当時の日本における最大の課題は、銀行の不良債権処理と経済のグローバル化への対応でした。
第一次世界大戦と前後して世界では技術革新や事業の国際化が進んでいたのですが、これについていけない日本企業は停滞してしまったのです。
また1923年に発生した関東大震災の影響が大きく、日本経済は壊滅的な状況に陥っていきます。
そこで日本が選択した道は、国債の大量発行による金融緩和でした。
大規模な公共投資や市場統制によって混乱は回避されましたが、膨らみ続ける政府債務によってインフレが進み、最終的には終戦直後、ハイパーインフレ一歩寸前という最悪の形で帳尻を合わせることになってしまいました。
※インフレが進めば進むほど政府債務を減らすことができます。
現在と比べてみるとすごく似ている点
- 世界恐慌(1929年) = リーマンショック(2008年)
- 関東大震災(1923年) = 東日本大震災(2011年)
- 金融緩和 = 金融緩和
世界恐慌の時株価はどうなったか
最大75%下落しました。
その後日銀の金融緩和によって持ち直しますが、インフレが伴ってしまい実質的なお金の価値は下がってしまいました。
戦後の高度成長期の勢いはそう簡単には収束しない
戦後の高度成長は歴史を知っている現在なら言えることなのですが、株価が何十倍に跳ね上がってもおかしくない環境でした。
しかし、当時自分が持っている株価が何十倍にもなると確信を持てる人は少なかったと思います。
近年の中国株などに当てはめてみれば説明がつきます。
しかし実際、株を持ってしまうとなかなか平常心を保てるものではありません。
そのような時は値段だけを見るのではなく、長期的なトレンドを見ることが大切です。
130年間のチャートを見ると、15年から20年続くトレンドが見て取れます。
戦後の高度成長の相場は15年間、その後の停滞期も約15年間、バブル経済も15年間続きました。
この間の約15年間の停滞期は大幅な下落がなく、ほぼ横ばいのチャートでした。
バブル経済期は日本の株式市場で史上最高値38,957円44銭を付け、バブル経済は崩壊しました。
その後バブル経済期の伸びが大きすぎたせいか、現在まで20年以上停滞期が続いています。
つまり一旦長期的な相場が形成されれば、その勢いは簡単にはストップするものではないのです。
今後の日本経済と株価は転換期を迎えるかもしれない
日本はバブル崩壊後、25年にわたる停滞期が続いています。
これは約130年の株価の歴史を見てみると、時間の限界点に近づいてきていると考えることができます。
もし日本がインフレ経済へ転換し、戦後の高度成長期のようなトレンドへ転換する可能性が高いのです。
そうだとすると、次の相場は想像以上に長く続くかもしれません。
日本市場は歴史的転換期を迎えている可能性を秘めている
企業は人材と資本を投入して、モノやサービスを生産し、それを消費者に提供するために存在しています。
それと同時に企業は人材と資本を投入して、モノやサービスを生産し、それを収益を上げているのです。
人と資本のどちらかの比率が高いほうが株価に有利なのかという明確な法則性はありません。
しかし、積極的に設備投資が実施されている時には、資本比率が上がりやすいですから、相場にはプラスである可能性が高いと考えられます。
実際、高度成長期の時には資本比率が一貫して上昇していました。
一方、設備投資が横ばいで人件費を削っている局面でも資本比率は上昇します。
そして現在、日本企業の資本比率が急激に上昇していて、金融緩和などでさらに上昇する可能性も秘めています。
これが高度成長期の時と重なり、株価上昇につながるかは分かりませんが、少なくともここ数年で、日本企業を取り巻く環境が大きく変わったことは事実です。
非正規社員の増加やリストラなどによって、人件費を削る企業が増える一方、日本企業の内部保留は過去最大に膨れ上がっています。
比率のトレンドが変化するときには、企業のビジネスモデルが大きく変化している可能性が高いと考えられます。
そうなると、市場環境も大きく変化しますから、株価のトレンドも変わりやすくなります。
そろそろ25年以上続いた低迷期の長期トレンドが転換点に差し掛かっていると考えられるのは、資本と労働の比率を見ても切り替わる兆候が見て取れるからです。
こうした視点をもつことは、短期的な株価の上下に翻弄されず、別の視点で市場を見れるのです。
まとめ
- 約130年間の歴史の中で日本の株価は約8000倍に上昇した
- 長期で見た株価には約20年単位で起こるトレンドがある
- 経済黎明期の日本はまだ新興国で、2つの戦争でバブルが起きた
- 第二次大戦中の低迷期は歴史上最大の不況
- 高度成長期の勢いはそう簡単には収束しない
- 今後の日本経済と株価は転換期を迎えるかもしれない