第二次世界大戦で先に宣戦布告したのはアメリカ?『在米資産(お金)凍結が日本を戦争に向かわせた』
戦争とお金と経済は、切っても切れない関係であり、これらの問題がなければ戦争は起きません。
明治維新から日清戦争、日露戦争で、日本の経済とお金は大きく動き、成長する日本経済と共に欧米諸国との経済摩擦が強くなっていったり、日本国内でも貧富の差や経済格差は広がっていきました。
そして、アジアの小国だった日本が、欧米諸国と肩を並べようかと思われた時、それを阻止するかのように第二次世界大戦(太平洋戦争)が勃発します。
それまでの戦争とは違い、第二次世界大戦(太平洋戦争)は、明らかに日本経済を死に至らしめる制裁を加えられたり、資金調達さえも困難にする制裁を加えられたりと、ほとんど勝てる見込みが薄い戦争とされました。
そこで今回は、比較的良好だった日本とアメリカとの関係が崩れてしまった原因や、どのようにして日本経済をしに追いやろうとした、また、日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)を戦うためにどのように資金調達をしたか、などを見ていきたいと思います。
第二次世界大戦前の日本とアメリカは経済的に良好な関係であった
日本とアメリカは、満州の権益で対立をしていましたが、両国間の貿易で強い繋がりがあったので、満州事変を起こしても、アメリカはそれほど強い反対の姿勢は見せませんでした。
第二次世界大戦前までの日本の最大の輸出相手国はアメリカで、輸出量全体の約40%を占めていました。
アメリカにとっても、日本は、カナダ、イギリスについで3番目の輸出相手国で、貿易においては、日本とアメリカはお互いが重要な国であったのです。
アメリカから日本への輸出は、中国への輸出の20倍以上もあり、経済的に見れば、アメリカにとって日本は、アジア最大の貿易相手国で、満州よりも日本の方がはるかに大事な市場だったため、満州の権益のことだけで戦争をするのは、経済的に損と考えていました。
日本が東亜新秩序を発表してから両国の関係は悪化する
ところが、1938年11月に、東亜新秩序を日本が発表してから状況は一変します。
アメリカやイギリスなどと結んできた中国における協定を、全て破棄し、東アジアでは日本が中心となって新しい秩序を建設すると宣言したのです。
これは、東アジアの市場を日本の支配下に置くという意味です。
そうなれば、話は変わります。
東アジア全体を日本が支配することになれば、アメリカは大きな市場や資源を失うことになり、日本はアメリカへの依存度をなくし自立してしまいます。
これを阻止するべく、1939年7月、アメリカは日本との日米通商航海条約を破棄することを通告したのです。
そこから、日本とアメリカとの間には修復できないほどの、深い溝ができてしまいます。
日本が南部仏印へ進駐をしたことを機にアメリカは間接的に宣戦布告
1941年7月、日本はフランス政府から無理やり同意を取り付け、南インドシナに軍隊を駐留させます。
南部仏印(南ベトナムの辺り)は、軍需物資である生ゴムや錫(スズ)の生産の大半を占めていたので、ここを日本に押さえれば、アメリカは大打撃です。
そうはさせまいと、これを境に、アメリカは一気に強硬策に出るのです。
在米資産凍結は日本経済を破壊する最悪の一手
日本の南部仏印進駐開始の2日後、アメリカは日本に対して、在米資産の凍結を行い、イギリスやオランダも同様の処置をします。
資産凍結とは、日本政府や個人や企業がアメリカに持っている資産を全てアメリカ政府の管理下に置くということです。
これは、日本が国際貿易から締め出されることを意味し、この資産凍結は、日本経済を完全に破壊するというアメリカからの宣戦布告なのです。
米ドルを凍結されれば輸出入の売買ができなくなる
当時の米ドルは、世界で唯一の国際通貨でした。
米ドルを使えなければ、国際貿易を行うことができません。
日本円は満州や中国では使用できましたが、他の地域での取引には使えませんし、1939年にヨーロッパで第二次世界大戦が始まると、ヨーロッパとも貿易が非常に困難になり、もう一つの国際通貨であるイギリスのポンドも利用価値がほとんどなくなってしまいました。
ですので、米ドルが当時の日本にとって唯一の国際通貨でした。
その米ドルが、在米資産凍結によって、使えなくなったのです。
となると、アメリカから輸入していた、人が生きていくのに欠かせない、石油も輸入できなくなったわけです。
在米資産凍結は、日本を戦争するか破滅するかの選択に導きました。
横浜正金銀行の破綻は日本の死を意味する
1941年10月、横浜正金銀行ニューヨーク支店の破綻が決定的になります。
横浜正金銀行とは、戦前の日本の外国為替業務を一手に引き受けていた国策銀行です。
その中でもニューヨーク支店は、日本の貿易の心臓部でした。
在米資産凍結で輸出代金の受け取りができなくなりデフォルトは決定的
横浜正金銀行は、日本がドル建てで発行した公債の引き受けなどを行っており、1941年の年末までに、公債の利払いと償還金として850万ドルを支払わなければなりませんでした。
通常であれば、850万ドルの支払いが困難になることはありませんが、在米資産凍結により、この支払いが危ぶまれました。
それは、アメリカの財務当局が、様々な理由をつけて、日本からアメリカへの輸出代金など約2000万ドルの受け取りをできなくしていたのです。
このことをきっかけに、横浜正金銀行の破綻は決定的となります。
アメリカは日本が国際貿易できなくなるのを知ってて資産凍結を行った
横浜正金銀行のニューヨーク支店が破綻するということは、日本の国際貿易が終わることを意味します。
当時の米ドルは世界貿易の通貨となっており、横浜正金銀行のニューヨーク支店は、日本の保有している米ドルを集中的に管理していたため、ここが破綻すれば、世界中で貿易ができなくなるのです。
そのことは、アメリカも承知していました。
だからこそ、在米資産凍結を行ったのです。
横浜正金銀行のニューヨーク支店の破綻が決定的になり、日本は日米開戦を決断し、同年12月8日、真珠湾攻撃によりアメリカとの戦争が始まったのです。
経済封鎖された日本はお金を集めることもできず戦争をしても1年も持たず敗戦すると予想された
日本はアメリカに経済封鎖され、輸出入だけでなく、米ドルが使えないので、外国向けの公債も発行できない状態にされました。
アメリカは、そこまで見据えて、経済封鎖をしたのです。
当時アメリカは、日本の経済力や資源備蓄などから計算し、日本との戦争は1年で終わると予想しました。
これは、石油が輸入できなくなった日本は、あと1年で石油の備蓄が底をつくと算出したためです。
石油だけでなく、鉄鋼や食料も輸入できなくなっているため、国民経済もすぐ破綻すると見られていました。
アメリカもあまり自国の被害を出したくないので、戦争を早く終わらせれると踏み、日本に戦争をするように仕向けたのです。
お金を集められないはずの日本が予想外に力を出す
ところが、アメリカの予想に反して、太平洋戦争は4年近くも続きました。
結果的に日本は敗戦してしまいましたが、アメリカやイギリスなどの世界を牛耳っていた大国を相手に、戦争を長期間継続しました。
このような未だかつてないほどの世界大戦を遂行・継続するには、莫大な費用(お金)が必要なはずですが、これをどのように捻出したのでしょう?
以前ご紹介した、(日露戦争の勝利は外債発行によるお金が大きく関わる『高橋是清の活躍が日本を変えた』)日露戦争とは違い、外債を発行できません。
日銀が国債の直接引受を実施し戦争のためのお金を集めた
太平洋戦争(第二次世界大戦)中、日本政府は国債を発行し、日本銀行が直接それを引き受けて紙幣を発行したのです。
これは、近年でも騒がれている『ヘリコプターマネー』と呼ばれる方法と同じで、財政ファイナンスとも呼ばれます。
国債を中央銀行が直接引き受ける行為は、一般的にタブーとされています。
これらの行為は、紙幣を無限に発行することができる代わりに、深刻なインフレに陥ってしまう可能性があります。
日本はこのタブーを破り、莫大なお金を刷り、軍事費を捻出したのです。
国家総動員法に基づく物価統制令によりインフレを無理やり抑えた
1938年(太平洋戦争前)に、国家総動員法が制定され、翌年にはそれに基づく物価統制令が公布されました。
上記の国債発行と日銀の直接受け入れによる深刻なインフレを抑えるために、国内物価を1939年9月の水準に凍結したのです。
これにより、終戦まで物価の高騰や物資不足による混乱や暴動などはほとんど起きませんでした。
※終戦後にはこの時のツケが回ります。(終戦後の日本の株価とドイツの株価はどう動いたのか?)
日本国民の信念は欧米諸国には異常であり苦戦を強いられることになる
当初アメリカが、国民経済が破綻するという予想に反し、日本は統制経済を構築し経済の混乱を防ぎました。
日本人が極度の物資不足に耐え忍び、戦争のために国の力をすべて注ぎ込むという信念は、アメリカだけでなく、欧州諸国たちの価値観から見れば、それは信じがたい異常な国民性だったのです。
もし、アメリカがこの日本国民を十分に理解していたら、安易に日本と戦争をしなかったはずです。
早期に、それほど被害もなく戦いを終了させれると思っていたアメリカは、対日本戦争で10万人もの兵士を失うことになったのです。
ヨーロッパの戦況次第では日本にも勝算があった
アメリカが1年で戦争は終わると予想していたのに反し、日本側はもう少し長く戦争を継続できると予想していました。
外交、軍事、財政経済などの重要政策の企画立案をする企画院は、3年間戦争を継続できると考えていました。
その間に、ヨーロッパの戦況が日本の予想通りに進めば、太平洋戦争に勝利できる可能性があったのです。
日本側もドイツ軍の力を過信しすぎ予想を誤り終盤で力が尽き敗戦に
太平洋戦争開戦前の日本は、イギリスがドイツ(日本の味方)に降伏すると予想していました。
しかも、日本は開戦早々にイギリス東洋戦艦を撃滅し、当時東洋一の要塞であったシンガポールも陥落させ、これでイギリスは降伏するはずだったのに、降伏しませんでした。
それは、ドイツ軍がイギリスでの制空権を確保するための戦い(バトル・オブ・ブリテン)に敗れたためです。
これにより、ドイツ軍はイギリス上陸を断念してしまい、さらに、ソ連での戦闘でも、こう着状態に陥ってしまいます。
この誤算が戦争を長引かせてしまい、その他にも敗因は数多くありますが、日本に悲惨な敗戦をもたらしてしまったのです。
まとめ
- 第二次世界大戦前の日本とアメリカは経済的に良好な関係であった
日本が東亜新秩序を発表してから両国の関係は悪化する - 日本が南部仏印へ進駐をしたことを機にアメリカは間接的に宣戦布告
在米資産凍結は日本経済を破壊する最悪の一手
米ドルを凍結されれば輸出入の売買ができなくなる - 横浜正金銀行の破綻は日本の死を意味する
在米資産凍結で輸出代金の受け取りができなくなりデフォルトは決定的
アメリカは日本が国際貿易できなくなるのを知ってて資産凍結を行った
経済封鎖された日本はお金を集めることもできず戦争をしても1年も持たず敗戦すると予想された - お金を集められないはずの日本が予想外に力を出す
日銀が国債の直接引受を実施し戦争のためのお金を集めた
国家総動員法に基づく物価統制令によりインフレを無理やり抑えた
日本国民の信念は欧米諸国には異常であり苦戦を強いられることになる - ヨーロッパの戦況次第では日本にも勝算があった
日本側もドイツ軍の力を過信しすぎ予想を誤り終盤で力が尽き敗戦に