日清戦争の勝因は酒税のおかげ?『豊かな国民と明治政府が勝利に導いた戦争とお金の流れ』

義務教育の歴史では、明治時代の日本は戦争ばかりして、国民は戦費の負担に苦しんだ。というように習った人も多いのではないでしょうか?
しかし実際は、そうではなく、明治時代の日本は、現在と比べると驚くほど安い税金であり、政府も合理的な税収をかけ、なおかつ、軍事費を国債の発行で補ったり(国民が自ら進んで購入)と、大きな戦争をしたにもかかわらず、国民の負担が非常に少ない日本経済だったのです。
そこで今回は、明治時代の日本国民からどのように税金を徴収し日清戦争を戦い抜いたかを見て、考えていきたいと思います。
明治時代の戦争は国民の負担の少ない合理的な戦争だった
明治時代の日本は、日清、日露戦争という、国の存亡をかけた大きな戦争を2度行いました。
このような大きな戦争をしたからには、巨額の費用を費やし、国民の負担が大きかったように思われますが、実際はそうではありませんでした。
戦争でバブルが発生?『日本で戦争が起きた時のお金と株価の歴史』でも少し触れましたが、日清、日露戦争では、国民が負担していた軍事費の割合は、そう高いものではありませんでした。
明治時代の政府が過度な重税で軍事予算を組んでいたわけでもなく、豊かな国民からの無理のない税収や国債を利用した戦争だったのです。
戦前の日本の税金は驚くほど安く抑えられていた
戦前の日本の税金は、現代と比べても驚くほど安く抑えられていました。
そもそも、庶民には直接税がほとんど課させれていませんでした。
現代の私たちは、給料や所得には、所得税、住民税が課せられていますが、戦前にはそれがありませんでした。
職人や使用人、サラリーマンの賃金に税金が課せられるようになったのは、第二次世界大戦直前の臨時特別税からなのです。
高額所得者に対して課せられていた所得税も、第二次世界大戦前までは一律8%で、累進課税でもありません、また、法人税もなく、企業も個人と同じように8%の所得税が課せられていただけでした。
意外にも酒税が明治時代の戦争の軍事費を補っていた
上記のように、明治時代の日本では、国民の直接税は高くありませんでした。
しかし、日本は近代国家、近代軍を作るために莫大な経費がかかったはずですが、その財源はどこから補っていたのでしょうか?
それは、意外なことに酒税なのです。
もちろん酒税だけが財源を補っていたわけではありませんが、明治政府の税収の大きな部分であったことは間違いありません。
酒税は国民の不満もあまりない政府にとって非常に便利な税金
鎖国の解除(開国)と明治維新が現在の日本経済の基盤を作った『日本は今も昔も輸出大国』でも述べましたが、明治維新の際に地租改正が行われ、明治時代の日本を大きく経済発展させました。
しかし、地租だけでは財源が足りなくなりますし、何よりインフレの影響が大きく不安定でしたので、1875年2月、地租以外の諸税の整備が行われました。
この諸税の整備により、明治新政府は酒税、煙草税などを創設し、これらの新税が明治時代の中盤以降、国家を支える重要な財源に成長したのです。
その中でも特に酒税は、政府にとって非常に便利な税金でした。
酒は飲む人だけにかかる税金で強制ではない
酒は、国民生活にとってなくてはならないものかつ、生活必需品ではなく、ちょっとした贅沢品であったことでお金持ちほどよく飲む傾向がありました。
ですので、酒税は酒を飲む人だけが払う税金であり、国民はそれほど不満を持ちません。
当時の酒は他の物価に比べて高かった
ちなみに、明治時代の酒税は以下となります。
※1石 = 一升瓶100本分
- 明治11年(1878年) 1石1円
- 明治13年(1880年) 1石2円
- 明治15年(1882年) 1石4円
明治15年当時の酒の値段は、1石約20円でしたので、酒代の20%が税金でした。
現在と比べると、はるかに安い酒税(2016年現在は50%)ですが、当時の酒の値段自体が他の物価に比べて高かったので、とても大きな税収になりました。
日清戦争は酒税が大きな役割を果たし勝利に導いた
明治新政府は財源が不足すると、酒税をどんどん増税することができ、明治15年の酒税の増税で、年600万円以上の増収になります。
明治15年から日清戦争までの陸・海軍の増強費が700万円程度だったので、軍事費の増加分は、ほとんど酒税だけで収まったのです。
そして、日清戦争が勃発した時には、特に増税は行わず、日本は酒税の力で日清戦争を戦い抜いたと言っても過言ではありません。
その後も日露戦争と続くのですが、日清戦争ほどではありませんが、酒税は大きな働きをし、日本軍は酒税によって維持されているとさえ言われるほどだったのです。
日清戦争は外債を発行せず自国のお金だけで戦い抜いた
明治時代の日本が、それほど戦争にお金をかけていないことの証拠に、日清戦争の時は外債を発行していないことが挙げられます。
すなわち、日清戦争では外国から借金をせずに、自国のお金だけで戦争をしたのです。
明治時代の日本はお金のやりくりが非常に上手かった
戦争というのは、とにかくお金がかかるもので、当時は欧米諸国でも戦争をする時は外債を発行するのが常識でした。
ところが、欧米と比べればはるかに経済力のない日本が外債を発行しなかったというのは、いかに明治時代の日本がお金のやりくりが上手かったかが分かります。
当初は、外債を募集する案も出ており、イギリス、フランス、ドイツなどから日本政府に対して、外債に応じると申し入れもあったのですが、日本の財政家の反対があり発行されませんでした。
それどころか、日清戦争中は増税もせず、外債も発行せずに、清との戦争を戦い抜いたのです。
国債(軍事公債)を国民が購入するほど明治時代の日本は豊かだった
しかし、当時の日本が前記の酒税だけで戦費を補ったのかというとそうではなく、国内での軍事公債の発行でお金を集めました。
政府が戦争のために国債を発行し、国民がそれを買っていたのです。
日清戦争の軍事公債発行額は、1億1250万に達し、そのうち、公募による消化は7900万円で、残りは日本銀行などが引き受けました。
ということは、軍事公債の70%は国民が購入(強制ではない)したのです。
これだけの公債を購入できるということは、日本国民にそれだけの経済力があったということです。
もし、日本国民が貧困であったのならば、強制はしていない公債を買う余裕などないはずです。
日清戦争の勝利が日露戦争の勝利につながった
外国からお金を借りずに日清戦争を戦い抜いたことは、その後の日本に大きな恩恵をもたらします。
清から得た戦争賠償金は、丸ごと日本が使えることになり、それが日露戦争の戦費として使用されます。
日清・日露戦争は、比較的クリーンな政治と豊かな日本国民があっての勝利だったのです。
まとめ
- 明治時代の戦争は国民の負担の少ない合理的な戦争だった
戦前の日本の税金は驚くほど安く抑えられていた - 意外にも酒税が明治時代の戦争の軍事費を補っていた
酒税は国民の不満もあまりない政府にとって非常に便利な税金
酒は飲む人だけにかかる税金で強制ではない
当時の酒は他の物価に比べて高かった
日清戦争は酒税が大きな役割を果たし勝利に導いた - 日清戦争は外債を発行せず自国のお金だけで戦い抜いた
明治時代の日本はお金のやりくりが非常に上手かった
国債(軍事公債)を国民が購入するほど明治時代の日本は豊かだった
日清戦争の勝利が日露戦争の勝利につながった