固定相場制はいずれ崩壊する?アジア通貨危機の背景にあったのはドルペッグ制の固定相場が原因

固定相場制はいずれ崩壊する?アジア通貨危機の背景にあったのはドルペッグ制の固定相場が原因

1997〜1998年にかけてアジア中に経済危機、金融危機を巻き起こしたアジア通貨危機。

多くのアジア諸国の通貨が大暴落し、株価もそれにつられて暴落、やがて信用収縮や経済低迷を引き起こし、1998年のアジア諸国の経済成長率は大幅な減退を記録しました。

アジア通貨危機の背景には、ドルペック制の固定相場による体制や外国資本の流入、外貨借り入れでの自国への投資、実体経済との為替レート乖離などが原因となっています。

そこで今回は、アジア通貨危機が起きた時、アジア各国はどのような対応に迫られたか、どれほどの被害を受けたのかなどを見ていきたいと思います。

固定相場を採用していたアジア諸国はタイを震源地に通貨危機が起こる

1990年代後半、金融市場とアジア諸国は楽観的な雰囲気に包まれていました。

当時アジア諸国の多くは、ドルペッグ制である固定相場を採用しており、自国通貨と米ドルの為替レートが変動しないように固定していました。

この為替制度のため、為替リスクが極度に軽減されているので、海外から国内金利より低金利の米ドルを借りて、国内に投資をしていました。

 

固定相場を永遠に維持し続けるのは不可能

前回お伝えした、欧州連合の通貨ユーロはジョージ・ソロスによるポンド危機・欧州通貨危機から誕生した?でも理解できるように、実体経済からかけ離れた為替レートはやがて崩壊するというのが、市場の原理です。

ドルペッグ制を採用していたアジア諸国も例外ではなく、その中でも、1ドル = 26バーツ付近に為替相場を固定していたタイが為替市場のターゲットになりました。

金融取引の規制や制限が緩くなっていく時代でしたので、1993年にはタイにオフショア市場が開設され、そこに短期資本が流入しやすくなっていました。

当時の外貨流入額は、GDPの50%にも達していたとも言われています。

 

必然的に行った投資法は大きなリスクを抱えていた

当時はタイだけでなく、他のアジア諸国の企業も同じように、米ドル建ての短期資本を調達して、その資本を使って自国へ長期投資をしていました。

短期資本は、主に不動産や株式市場などに多く流入していました。

これは、すぐ逃げられる(引き上げられる)ような資本でもあり、その資本を使って自国への長期投資をしている企業にとっては、あまりにもリスクが高い投資だったのです。

 

アメリカ(米ドル)の利上げでタイ・バーツの為替レートは限界に達していた

当時、アメリカでは金融引き締め政策がされており、米ドル高が進んでいました。

それでも固定相場を維持していたタイ・バーツは、じりじりと割高感が明るみになってきていました。

また、中国企業の国際市場進出の影響も受け、1996年頃から、タイの成長率は低下し始め、貿易収支も赤字に転落していました。

その頃から、ヘッジファンドを中心とした市場は、タイが通貨レートを維持することはもう限界だと判断したのです。

 

遂にタイ・バーツの固定相場は崩壊し為替変動制へ移行

1997年5月14日、為替市場に突然タイ・バーツ売りが殺到します。

タイの中央銀行は大規模な為替介入を行い、バーツの借入レートを最大3000%に引き上げるという暴挙に出ました。

一旦は、バーツ売りも収まったものの、再び売り攻勢が再開します。

そして、2ヶ月も経たずの7月2日、バーツ売りに耐えられなくなったタイ政府は、ドルペッグ制を放棄すると発表し、為替変動制に移行しました。

 

タイの為替相場は50%株式市場は90%の下落を記録する

為替変動制に移行したタイ・バーツは、経済状況の乖離を埋めるかのように暴落していき、1ドル = 26バーツ付近に設定されていたレートは、翌年1月には、1ドル = 54バーツにまで約50%も下落したのです。

それに連動するように、短期資本が大量に流入していた株価も急落し、1998年には、ピーク時であった1994年の株価指数から約90%も大暴落したのでした。

 

IMFに支援を要請し1998年の実質GDPは前年比−10.5%を記録

タイ政府はIMFなどに支援を要請し、資金援助を受けます

しかし、経常黒字や財政黒字、インフレ抑制といったIMFからの要請に基づき、政府歳出削減や引き締め政策を行った結果、1998年の実質GDPは前年比10.5%減という状況に陥ってしまいました。

これらのタイから始まった通貨危機は、やがてアジア全土に広がり、その影響は世界規模にまで発展することになったのです。

 

マレーシアも通貨危機の被害で為替と株価が下落するがIMFの支援は受けなかった

タイと同じくドルペッグ制を採用していたマレーシアの通貨リンギットは、1997年8月に変動相場制に移行しました。

その後、1ドル = 2.9リンギットから、1ドル = 4.5リンギットまで急落し、それにつられて株式市場も大幅な下落を記録しました。

しかし、タイとは違い、マレーシアはIMFの内政干渉を避けるために支援を要請せず、自力再建を目指す姿勢を世界に示したのです。

これには、市場や欧米諸国から大きな懸念を示され、通貨や株価の下落が加速していき、格付け会社からも格下げされ、マレーシア国内では景気悪化に伴う信用収縮が起き始めてしまったのです。

 

他のアジア諸国とは違い独自の政策で経済を立て直すマレーシア

当時マレーシアの首相を務めていたマハティール首相は、資本規制を行いました。

1998年9月にマレーシアの中央銀行は、為替・資本管理制度を改訂して、資本規制を導入し、為替レートも1ドル = 3.8リンギットに固定すると発表しました。

さらに国内の信用収縮を抑えるために、金融緩和策も導入しました。

このような外国人投資家を寄せ付けないような動きに対し、市場から批判を受けました。

しかし、これは市場経済があまり強くない新興国が投機筋から守ることにもつながり、全てが非難されるものではありません。

 

資本規制と外部環境に恵まれ見事に景気回復を果たす

市場の予想とは反して、1999年以降、徐々にマレーシアの景気は回復していきます。

為替レートの下落と安定、金融緩和で、電子関係などの製造業の輸出が回復しました。

この輸出が回復したのには、欧米などでのIT需要の拡大やIMFの支援を受けた他のアジア諸国の経済回復など、外需要因も大きかったことも影響しています。

マレーシアがIMFの支援なしに経済再建できたのは、資本規制と外部環境の改善の組み合わせが重なった結果だったのです。

 

インドネシアも通貨危機に襲われアジア諸国でトップの被害にあう

タイとマレーシアが通貨危機に直面していた頃、同じアジア諸国であるインドネシアは通貨売りなどにはあっていませんでした。

通貨も1ドル = 2400ルピア付近で取引されており、株式市場も普段通りの動きをしていました。

ところが、1997年8月にインドネシアが変動相場制に移行したことで、状況が急変したのです。

インドネシア企業による米ドル建ての借り入れが多かったことが、投資的なルピア売りの要因になったのです。

借り入れた大量の米ドルをルピアに替え設備投資していたインドネシア企業は、債務返済のために、急騰した米ドルを買わなければいけなくなり、その米ドル買いもさらにルピア売りにつながったのです。

そして、1998年には1ドル = 10000ルピア近くまでインドネシアの通貨は約80%暴落しました。

 

信用不安・インフレ率上昇・経済危機から政治危機にまで発展

インドネシアは外貨準備が豊富な国でしたので、通貨危機の影響はあまりないと思われていましたが、結局、IMFに100億ドルの支援を要請することになります。

インドネシアもタイと同様に、緊縮財政、金融引き締め、経常黒字化、インフレ抑制、金融改革を強いられ、国内経済は急速に悪化していきました。

極度の金融改革が信用不安を生み、燃料価格の高騰によるインフレ率の上昇が起こります。

そして、1998年5月に、独裁者として30年以上も就任していたスハルト大統領が辞任することとなります。

インドネシアでのアジア通貨危機は、経済危機だけでなく、政治危機にまで発展したのです。

 

震源地であるタイよりも経済が悪化し回復までにも時間を要した

インドネシアの成長率は、1998年には前年比13.1%減となり、アジア通貨危機の震源地タイの10.5%減よりも激しい下落となりました。

さらに、1999年には他のアジア諸国の経済が回復していく中、インドネシアの成長率は0.8%増にとどまり、大きく出遅れることになってしまったのです。

 

大きな力を持っていた財閥企業さえも破綻した韓国の通貨危機

東南アジアを中心に起きたアジア通貨危機の影響は、韓国にも及びました。

韓国もタイなどと同じく、ドルペッグ制を採用しており、表面的には経済成長が続いていましたが、1997年に財閥系の企業が破綻するなど、経営不振による銀行の不良債権問題や経済状況の悪さが浮き彫りになってきました。

そして、1997年10月、ムーディーズやS&Pなどの格付け会社に格付けの引き下げをされ、東南アジアで巻き起こっていたアジア通貨危機が韓国にも飛び火することになったのです。

 

韓国は当時史上最大規模のIMFの資金援助を受けた

順調に経済成長をしていた韓国への期待感が強かったこともあり、韓国の通貨危機は、日本の投資家たちにも不安が広がりました。

日本から韓国の銀行や企業への投資・融資は増加する一方でしたが、韓国の通貨危機を受け、大量の売りに走る投資家も少なくありませんでした。

1ドル = 850ウォン付近だった為替相場は、年末には1ドル = 1700ウォン付近にまで暴落し、株式相場も急落しました。

大規模な為替介入により、外貨準備も急減し、対外債務返済にも危機が迫り始め、韓国政府はついにIMFに支援を要請することになりました。

1997年11月、IMFは当時史上最大規模となる210億ドルの資金援助を行ったのです。

 

韓国で大きな力を持っていた財閥の改革を迫られる

韓国もIMFの支援を受けた他のアジア諸国と同じく、金融引き締めや緊縮財政などを要求されることになります。

その中でも他の国とは違う特徴的なことがあり、財閥改革を要請されたのです。

財閥企業の過剰投資とそれを支えた金融機関の過剰融資が、韓国経済の最大の弱い部分だったからです。

1998年の大規模な金融再編に続き、製鉄、情報、重工業など大手公的企業が民営化されることになり、翌年には、2番目に大きい財閥企業大宇グループが債務超過で破綻するなど、韓国経済は深刻な危機に晒されることになりました。

 

アジア通貨危機はそれまで順調だったアジア経済をどん底にまで突き落とした

アジア通貨危機は、その他にもフィリピンや香港にも飛び火します。

タイを震源地に始まった通貨危機は、伝染病のようにアジア経済をどん底にまで突き落としました。

それまで順調だった経済成長率は、1998年に大幅に下がり

  • インドネシア:−13.1%
  • タイ:−10.5%
  • 韓国:−6.7%
  • マレーシア:−6.5%

を記録しました。

アジア通貨危機を通し、軒並み極度の景気後退を強いられたのでした。

 

まとめ

  • 固定相場を採用していたアジア諸国はタイを震源地に通貨危機が起こる
    固定相場を永遠に維持し続けるのは不可能
    必然的に行った投資法は大きなリスクを抱えていた
    アメリカ(米ドル)の利上げでタイ・バーツの為替レートは限界に達していた
    遂にタイ・バーツの固定相場は崩壊し為替変動制へ移行
    タイの為替相場は50%株式市場は90%の下落を記録する
    IMFに支援を要請し1998年の実質GDPは前年比−10.5%を記録
  • マレーシアも通貨危機の被害で為替と株価が下落するがIMFの支援は受けなかった
    他のアジア諸国とは違い独自の政策で経済を立て直すマレーシア
    資本規制と外部環境に恵まれ見事に景気回復を果たす
  • インドネシアも通貨危機に襲われアジア諸国でトップの被害にあう
    信用不安・インフレ率上昇・経済危機から政治危機にまで発展
    震源地であるタイよりも経済が悪化し回復までにも時間を要した
  • 大きな力を持っていた財閥企業さえも破綻した韓国の通貨危機
    韓国は当時史上最大規模のIMFの資金援助を受けた
    韓国で大きな力を持っていた財閥の改革を迫られる
  • アジア通貨危機はそれまで順調だったアジア経済をどん底にまで突き落とした

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