投資拡大と金融危機・崩壊は繰り返す?新興国の累積債務問題から証券化時代が始まった

投資拡大と金融危機・崩壊は繰り返す?新興国の累積債務問題から証券化時代が始まった

先進国を中心に新興国(発展途上国)への投資は現代から始まったわけではなく、何百年も前から繰り返されており、投資拡大と金融危機・崩壊も繰り返されてきました。

その中でも、1980年代の中南米の債務危機(累積債務問題)は、現代でも続いている証券化時代の幕開けともいえる出来事となりました。

投資拡大による経済の成長と共に必ず対外債務は積み上がり、外的要因によりその債務は問題となります。

そこで今回は、1980年代の累積債務問題はどのようにして起こり、解決に向かったのかを見ていきたいと思います。

メキシコ債務危機から表面化した新興国の累積債務問題

1982年8月、メキシコは外貨準備金が底を尽きたと表明し、IMFやBIS(国際決算銀行)などに対して、債務返済の繰り延べと新規融資の要請を行うと発表しました。

これは、事実上メキシコの債務不履行(デフォルト)です。

メキシコは、マイナス成長やインフレ、経常収支の悪化といったことを受け、ペソを大幅に切り下げるなど、対外債務の返済負担に耐えられない状態に陥ってしまっていました。

メキシコは緊急経済再建計画を策定し、銀行債権団から債務返済期限の延長への合意や、BIS、FRB、IMFからの追加融資を取りつけて、対外債務の再建に取りかかりました。

これが、メキシコによる債務返済期限の延長の要請『メキシコ債務危機』であり、その影響は数多くの国に波及していき、累積債務問題の幕開けとも言える出来事となりました。

 

1983年新興国の中心的存在であったブラジルの債務不履行(デフォルト)

1983年には、ブラジルが対外支払いの全面停止を発表し、世界の金融市場を震撼させました。

ブラジルは、経済の高度成長の代表として中南米を牽引する国でした。

当時のブラジルの経済状況は悪化していたものの、この困難な状況を乗り切れるであろうと金融市場は予想をしていたので、ブラジルの対外支払いの全面停止のショックは大きいものでした。

約1000億ドルの巨額の対外債務を抱え、元利支払いを停止し、1990年代まで続く累積債務問題の主役となりました。

 

1980年代は金融構造の問題で新興国の債務不履行(デフォルト)が相次いだ

当時、その他にも対外債務で債務不履行(デフォルト)に陥った国は数多くありました。

  • 1980年:スリランカ、ボリビア、ペルー
  • 1981年:ポーランド、ルーマニア、中央アフリカ
  • 1982年:メキシコ、アルゼンチン、エクアドル、ナイジェリア、トルコ
  • 1983年:ブラジル、チリ、パナマ、フィリピン、モロッコ、ザンビア、ウルグアイ、ベネズエラ、コートジボアール
  • 1984年:エジプト
  • 1985年:ペルー、アンゴラ、南アフリカ

これらの国々は新興国(当時は発展途上国)であり、1970年では順調に発展していた経済が、1980年代に入って、それぞれの国が一斉に悪化しました。

これは、米ドルという通貨をベースとした金融構造に問題があることが要因となったのです。

 

対外債務の増加と外的要因が債務不履行に陥る原因となる

新興国(発展途上国)の累積債務問題を、当時それらの国々の代表であったブラジル経済で見てみると、工業化政策の拡大による対外債務の増加が原因だとわかります。

ブラジルは1968年〜1973年の6年間、驚異的な経済成長を遂げました。

GDPは毎年2桁の上昇率、輸出は19億ドルから62億ドルにまで伸びました。

外貨準備も、当初2.5億ドル程度しかなかったのですが、1973年には64億ドルにまで急増したのです。

その反面、対外債務も38億ドルから125億ドルにまで膨れ上がりましたが、急増し続けるGDPや輸出、それに伴う外貨準備の急増から、欧米諸国などの債権国からも信頼を得ていました。

 

オイルショックによる原油価格上昇が対外債務を急増させた

しかし、オイルショックの影響による1973年以降の石油価格上昇が、大幅な貿易赤字をもたらし、海外からの借入金の増加に繋がります。

この影響で、ブラジルの対外債務は1年間で約40%も急増してしまいます。

しかし、ブラジルへの投資は縮小はせず、オイルショックで潤った産油国からの米ドルでの投資は増えました。

 

膨れ上がる債務額にアメリカの金融引き締めが合わさり利息の支払いが不可能となる

オイルショックからの1974年〜1978年の5年間も成長は続き、平均約8%の高い成長率を維持し続けたのです。

しかし、対外債務の増加ペースは急加速していき、125億ドルだった債務額が、1978年には435億ドルにまで膨れ上がりました。

そして、1979年、FRBによる金融引き締め政策で支払利息の金額を膨張させることになります。

それまでに膨らむに膨らみ続けた米ドルの借入金は、20%を超えるような短期金利上昇となり、金利ネット支払額は、1978年の27億ドルから、1982年には113億ドルまで4倍以上の跳ね上がったのです。

 

変動金利方式は短期金利急騰をもたらし債務国を苦しめる

国が銀行などから借り入れを行うとき、変動金利方式が一般的です。

国債発行の場合は固定金利で調達することが多いのですが、銀行借り入れは短期金利に連動する金利変動型が多くなり、その方式により、短期金利の急騰がブラジルを債務不履行(デフォルト)に陥らせたのです。

これらの出来事は、他の新興国(発展途上国)でも起こり、1980年代の累積債務問題となったのでした。

 

新興国の構造自体が問題で債務不履行になり先進国でも対処は難しい

新興国(発展途上国)の債務残高は1兆ドル近くになり、1981年の段階で債務不履行に陥った案件は13件、1983年にはそれが31件増加し、最終的には50か国が債務不履行(債務返済繰り延べ)に陥りました

当初アメリカ政府や銀行は、流動性危機とみなし対策をしましたが、累積債務問題が新興国の構造自体が問題だったので効果はありませんでした。

 

更なる融資の増強で経済成長を図り対外債務問題を解決しようとするが失敗

新興国の構造問題を改善するべく、1985年10月の世界銀行・IMF総会で支援強化の必要性を提示します。

  • 債務国による構造調整政策の採用
  • 世界銀行やIMFなどの支援額の増強
  • 民間銀行による新規融資

などを提示しました。

これは、それまでのIMF主導の緊縮政策による経済再建ではなく、経済成長による対外債務問題の解消という路線変更になります。

 

経済が停滞している国に新規融資をするわけにはいかない

ところが、新興国の債務返済能力を疑う民間銀行は、新規融資をするように動きませんでした。

特にブラジルでは急激なインフレが進行しており経済は停滞し、財政状態は厳しいままでした。

そこへ新規融資を行えるはずもなく、アメリカの大手銀行は当然、融資の削減へと動きます。

 

ブラジルは元利不払いを宣言するが債権国は黙って聞いているしかなかった

累積債務問題は、国内政治問題であると開き直ったブラジル政府は、1987年にモラトリアム(支払猶予)を宣言しました。

債務問題は貸手の責任だとして、国民の生活を犠牲にしてまで対外債務支払いをしなかったのです。

このように、ブラジルが強気に元利不払いを宣言したのは、海外銀行は何も対応できないと予想したからだ、という声もあります。

実際に、シティーコープ(シティバンクの親会社)は、その宣言をした後に、前年利益のほぼ3倍に相当する30億ドルの貸倒引当金を計上すると発表しました。

アメリカ、欧州、日本の銀行などは、その元利不払いの宣言を黙って聞いているしかなかったのです。

 

債務の証券化を通じて債務問題を解決させた

1989年3月に、ブッシュ政権は元利減免を含む新たな処理構想を提案します。

その構想とは、債務国は民営化などを通じて資本流入を促す、商業銀行は債権放棄を検討する、IMFや世界銀行は証券化された債務の元利保証を行う、といった内容でした。

累積債務問題が進むにつれて、すでに、金融業界では貸倒引当金だけでなく、債務の証券化を通じて損失を計上する方向性を探り始めていました。

 

メキシコから始まった債務の証券化が他の新興国にも波及する

まず初めに、メキシコがこの構想の適用を受けます。

  • 元本削減:保有額面65%相当の30年メキシコ国債に交換
  • 金利減免:保有額面相当の同30年債(6.25%の固定利付債)に交換
  • 新規融資:保有額面25%相当の15年間の新規融資

この3つが主要銀行などメキシコへの債権者に与えられたオプションでした。

銀行などの債権者のほとんどは、元本削減と金利減免を採用しました。

これは、国債にはIMFや世界銀行、日本の補償やメキシコの外貨準備などが信用補完に充てられていたためです。

このような構想は、フィリピンやベネズエラなどでも相次いで導入され、1993年にはブラジルにも適用されました。

 

ブレディ・ボンドにより長い年月をかけ累積債務問題は解消

また、上記の構想の信用補完として、アメリカのゼロクーポン債などが組み込まれるようになりました。

この元利減免を含む新たな処理構想による債券を、当時の米財務長官であったブレイディにちなんで、ブレイディ・ボンドと呼ばれるようになります。

債権処理への道が開けた銀行は、債権の市場売却が可能になり、それは日本国内にも転売されていました。

 

2007年にブレイディ・ボンドは全て償却される

債権者負担による支援で、累積債務問題は1990年代にようやく解決に向かいます。

2003年にはメキシコが全てのブレイディ・ボンドを買い入れ償却できました。

フィリピンやブラジルなども市場買い入れを行い、ブレイディ・ボンドが市場から全て償却されたのは、2007年でした。

冒頭でお伝えした、1982年のメキシコ債務危機から25年間もの長い期間をかけて、累積債務問題は解消したのでした。

 

現代も続く証券化時代は累積債務問題の解消から始まった

25年にも及んだ累積債務問題は、日本、米国、欧州の大手銀行にとってソブリン債のリスクについて大きな教訓となりました。

しかし金融市場は、このような金融危機を繰り返している歴史があります。

この累積債務処理の過程で得たことは、銀行が自ら融資を証券化して第三者に転売するという方法と経験を編み出したことです。

アメリカ国内では住宅ローン市場に証券化が導入されていましたが、ソブリン向けの融資を証券化したのは、ブレイディ・ボンドが世界で初めてでした。

これは、現代でも膨張し続けている証券化時代の幕開けともいえるのです。

 

まとめ

  • メキシコ債務危機から表面化した新興国の累積債務問題
    1983年新興国の中心的存在であったブラジルの債務不履行(デフォルト)
    1980年代は金融構造の問題で新興国の債務不履行(デフォルト)が相次いだ
  • 対外債務の増加と外的要因が債務不履行に陥る原因となる
    オイルショックによる原油価格上昇が対外債務を急増させた
    膨れ上がる債務額にアメリカの金融引き締めが合わさり利息の支払いが不可能となる
    変動金利方式は短期金利急騰をもたらし債務国を苦しめる
  • 新興国の構造自体が問題で債務不履行になり先進国でも対処は難しい
    更なる融資の増強で経済成長を図り対外債務問題を解決しようとするが失敗
    経済が停滞している国に新規融資をするわけにはいかない
    ブラジルは元利不払いを宣言するが債権国は黙って聞いているしかなかった
  • 債務の証券化を通じて債務問題を解決させた
    メキシコから始まった債務の証券化が他の新興国にも波及する
  • ブレディ・ボンドにより長い年月をかけ累積債務問題は解消
    2007年にブレイディ・ボンドは全て償却される
  • 現代も続く証券化時代は累積債務問題の解消から始まった

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