市場が短期投資主流になったのは年金ビジネスと過剰流動性(量的緩和など)の増加や長期金利の低下が原因
世界の株式市場では、短期投資が主流となっています。
それは、短期投資の方が長期投資よりも収益を上げられるからという理由ではありません。
今から50年ほど前(1960年頃)までは、長期投資で株式運用をするスタイルが主流だったのです。
では、なぜ現代のように、短期投資が主流となり、ボラティリティも高くなってしまうような金融市場になってしまったのでしょうか?
それには、年金ビジネスと過剰流動性が原因だったのです。
年金制度が充実するにつれて年金はビジネスの要素が強くなった
短期投資が主流になった原因の歴史を遡ってみると、年金ビジネスが活発化したことが挙げられます。
年金というのは、それに加入している人々からすれば、老後の生活を支えてくれるお金であることは誰もが認知しているものです。
※公的な年金基金も、株式投資などで資産運用されています。
日本の場合ですと『出資しているのは私たち国民』世界最大の年金基金・GPIFの資産運用プランを知るをご覧ください。
ですので、長期でじっくりと殖やしてもらうべきなのですが、残念なことに、年金サイドも運用する側も常に短期の成績を重視しています。
毎年毎年の運用リターンをめぐって、メディアで取り上げられたり、国会で議論されたりと、一喜一憂しているのが現状です。
1970年代から年金運用がビジネス化していき競争を生んでいった
1960年代から、世界中で年金の制度が整備され始め、1970年代に入ってから、年金の積立金が徐々に増え始めました。
1970年代後半に入り、年金の積立金が急激に増えだし、あっという間に運用会社にとって稼げる商売(手数料などで)になっていきました。
稼げるビジネスとなれば、少しでも多く受託しようと動き出し、結果、運用の世界に強烈なマーケティングの競争が生まれることになります。
そうなれば、運用するビジネスは狂ってしまいます。
しっかりとした運用成績の積み上げで顧客資金を獲得していくのではなく、強力なマーケティングで運用資金を集めようとする動きが加速し、運用ビジネスがマーケティングのビジネスへと変貌していったのです。
1年後や2年後の短期間で成績を残さなくてはビジネスにならない
そのようなビジネスの中では、今、この瞬間(短期的)に必ずリターンを出せますとは言えない長期投資ではどうしても説得力に欠けます。
長期投資で実際に成果が見えてくるのは、1年後や2年後ではなく、10年後、20年後です。
年金の運用を委託する側からしてみれば、年金というとても大切なお金であり、10年後、20年後になって、「失敗しました」では手遅れなのです。
ですので、毎年定期的に運用成績をチェックし、それを重視する動きが強まり、同時に委託先を選定する際にも、常にしっかりとした毎年のリターンを出しているかどうかが問われるようになります。
年金という最大の資金スポンサーが、毎年の成績を出しほしいという要望があるので、世界の運用会社はそれに従うしかありません。
年金を受託する投資運用会社の側も、受託を増やして年金ビジネスを成功させるために、毎年の成績を高める必要があります。
長期投資のように、「今はマイナスのリターンですが、何十年後の将来的に大きく資産が増えます」といった理屈は、年金マーケティングの現場では通用しません。
年金コンサルタントの誕生でさらに複雑化していく
さらに、1980年代から1990年代にかけて、年金コンサルタントという商売も現れます。
年金コンサルタントというのは、年金資金の運用委託先はどこが相応しいかということを、様々なデータを駆使し、年金側にアドバイスする商売です。
運用委託先の選定にコンサルタントの意見を採り入れた方が、より公平に判断できると、年金サイドからしてみれば都合がいいのです。
年金資金が巨額になるにつれて、より広く運用会社を採用する必要性も生じ、年金コンサルタントという外部機関はより重宝される存在となっていきます。
年金コンサルタント側も、10年後、20年後の運用成績ではなく、1年や2年の短期的な運用成績を比較・評価してアドバイスしなくては、顧客を集められません。
運用会社側も、年金コンサルタントの望む短期的な成績を残さなくては、自分のところに年金の運用資金を紹介してもらえなくなるので、無理をしてでも短期間の運用成績を作るようになります。
このような動きから、世界の株式市場は短期投資が主流になっていったのです。
過剰流動性の増加も短期投資への指向を高めた
年金ビジネスの他に、コンピューターの発展と情報通信網の高度化、国境を越えて移動する『グローバルマネー』と称される過剰流動性の増加も、短期投資を加速させる原因になっていきました。
過剰流動性とは、保有する現金や預金が、実際に企業経営などを維持していく上で必要な額を大きく上回っている部分のことで、要は金あまりの部分です。
1960年代あたりから世界の貿易量が急激に増加し、さらに米国の企業が多国籍化した結果、大量の米ドルが米国外で取引されるようになりました。
世界の基軸通貨である米ドルは、貿易取引の決済資金として用いられているので、どの国も米ドルを欲しがります。
さらに、1971年のニクソンショックにより、米国外への米ドルの流出が一段と加速します。
それまで米ドルは、金準備の裏付けなしには発行できなかったのが、ニクソンショックで金と米ドルが切り離され、米ドルは金準備の裏付けなしに、どんどん発行できるようになったのです。
※金本位制の歴史と崩壊『通貨のリミッターは切られ国富を奪う』もご覧ください。
1973年、79〜80年のオイルショック(オイルショックは急激なインフレ・高金利政策・不況・債務問題を引き起こした)が起こったことで、世界経済は大打撃を受けました。
それにより、景気を下支えしなければいけなくなり、米国をはじめ世界中が大量の流動性を供給します。
景気が回復すれば、上記の大量に資金供給された過剰流動性は、回収しなくてはいけないのですが、2001年の同時多発テロや、2009年のリーマンショックなどにより、回収されるどころか、金融市場にさらに量的緩和という名目で、さらに供給され続けることになったのです。
※サブプライムローン問題とリーマンショックをわかりやすく説明すると投資銀行が原因こちらもご覧下さい。
長期金利の低下がヘッジファンドの力を強めた
過剰流動性による供給された資金は一体どこに向かったのか?
それは、ヘッジファンドが受け皿として現れたのです。
ヘッジファンドとは短期投資を専門とするファンドのことです。
1990年代は、特にヘッジファンドが盛況していた時代で、ジョージ・ソロスのソロスファンドなどが有名になりました。
※欧州連合の通貨ユーロはジョージ・ソロスによるポンド危機・欧州通貨危機から誕生した?こちらの記事もご覧下さい。
このように、ヘッジファンドが盛んになった理由は、米国の長期金利が大幅に低下したことが挙げられます。
米国の長期金利は、今では考え難いのですが、1979年から1985年にかけてほぼ10%を維持し、一時は15.84%にまで上昇したのです。
その後、1990年に8%をつけてから現在に至るまで、ひたすら下げ続けています。
これは、ヘッジファンドにとって、運用コスト負担が軽減されることを意味します。
運用コストが軽減されれば、借入によってレバレッジを効かせた運用が可能になるため、短期間でより大きなリターンが期待できるものに投資しやすくなり、短期的な傾向も強くなります。
結果、ヘッジファンドは高いリターンを期待できるというイメージが定着し、年金も資金委託先にヘッジファンドを加えるようになったのです。
まとめ
- 年金制度が充実するにつれて年金はビジネスの要素が強くなった
1970年代から年金運用がビジネス化していき競争を生んでいった
1年後や2年後の短期間で成績を残さなくてはビジネスにならない - 年金コンサルタントの誕生でさらに複雑化していく
- 過剰流動性の増加も短期投資への指向を高めた
- 長期金利の低下がヘッジファンドの力を強めた